野に咲く花と社蓄

前置き

今日はなーんも予定がないので、しばらくネタだけストックしてあったので、ブログ書くことにする。

何本書けるかな~。イケハヤさん方式で一本15分をめどに、複数書けたら、予約投稿します。15分だとじっくり推敲してる暇がないだろうから、誤字脱字御免。

 

Twitterのアカウントいくつか持ってる中の一つで連投した内容を、若干補足してお届け。

そこの人、Twitter検索して、どのアカウントか探すんじゃありません。

本題

世の中には、今自分が置かれている状況や自分の考え方や感じ方は、生まれつきのもんだから考えても仕方ない、というか、何故こうなんだ?という疑問さえ思いつきもしない人の方が多いのか。
何でもかんでも、何でだ?という疑問が浮かぶ自分よりは遥かに生きやすいようにも思うが…ナンダカナー

お天道様浴びて雨を浴びて、周りからの恵み(時には災い)を抗いもせずに受け容れて、根を生やし葉を広げる木になりたいとは思うけど、周りに流されるだけでなーんにも考えずに生きるのは違う気がするし、そういうのはイヤだなぁ〜。

「考えたって仕方ない」に辿りつくまでの過程が、中途半端に考えただけで投げ出すのと、本当に悟りを開くぐらいのつもりで考え抜いた末との違いというか。

考え過ぎて一周回って無我の境地に至るのが理想。

野に咲く花と家畜の違いっつーか。
野に咲く花は誰からもお水をもらえないし、誰に見てもらえなくても文句も言わずに花をつけ実を落とす。結果的に、その実が次世代につながれていったり、誰かの糧になったりする。
家畜は安全な場所に飼われてて誰かから毎日餌がもらえて満腹。何かブツブツ文句は言うけど、自分で現状を打破しようとはせず、最終的には餌くれた人に食べられる。

今、家畜人間の出荷コースから外れて、病気ブタの隔離部屋から元の仲間達がドナドナされてるのを見て「あそこに戻るのイヤだなぁ〜」って思ってる。
だから、元気になりたくなくてズルズル休職が長引いてる。

今はまだ養豚場から脱走できる程の元気も覚悟もない。将来的には、原野で生き抜く雑草の逞しさが欲しい。

 

そして春の突発性難聴が軽快してきたかと思ったら、新たに右目が炎症。(後日、詳しい検査でブドウ膜炎との診断。点眼薬で様子見中)

全く体に何の心配もない!という日がない。
まぁ、こういうポンコツの体であることも苦にもせず、嘆きもせず、ただ受け容れられるようになればいいんだろなぁ。